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2005.11.06 「半落ち」「深紅」
2005.09.12 「もっけ(勿怪)」
2005.09.09 「金魚屋古書店出納帳」「DEATH NOTE(8)」「エマ(6)」
2005.090.2 「ライオンハート」「星海の楽園」「破線のマリス」 統合
2005.090.2 「姫椿」「ねむり姫」「ライオンハート」 統合


「破線のマリス」で江戸川乱歩賞、本作「深紅」で吉川栄治文学賞を受賞した今のりのりの作家さん。 さて本作は一家惨殺事件から一人生き残った少女と、家族を殺めた犯人の娘のお話。前半部分の事件の描写は淡々としており、逆にノンフィクションを髣髴とさせる緊張感を出していて手に汗握る。ちょっと残念なのが生き残りの少女の心理描写があまりにも大人びていて、現実味を薄れさせてしまう点。「いまどきの子はこれくらい」と見ることも出来るけど、僕みたいな「いまどきの子」を理解しきっていない大人からすれば、読者の持つ「少女」の平均像で描いて欲しかった。いまどきの子を理解させる必要があるならば別だが、ここでは平均像で書いてくれたほうが理解しやすいし、娯楽小説としては良かったのではと思う。中盤から後半にかけ、被害者側の娘が加害者側の娘と接点を持ち、交流が始まるわけだが、ちょっとスタートのタイミングを誤ったと思う。動き出しが鈍り、作品の勢いというか流れと言うものが中盤で滞ってしまった感が否めない。後半に生じる「企て」をもう少し長いスパンで描き、その緊張感を持続させることが出来ていたら、また違ったものになっていたような気もする。とは言え、面白い作品であることには変わらず、吉川栄治文学賞を受賞したのも頷ける良作。推理小説として読むよりも、犯罪とはなんぞやという視点で見たほうが楽しめるかも。そういえば「破線のマリス」も推理小説としては少し弱く、どちらかというと提議要素の方が強かったように思える。


九月も後半になってから、いきなり夏休みを頂戴しました。友達とは休日がかみ合うはずも無く、海外旅行はチケット手配すら間に合わない状況。迷った挙句に京都へ特攻。新幹線に乗る際に何気なく購入した二冊のうちの一冊が、この「半落ち」。大当たりです。 アルツハイマーに侵される妻を、自らの手で殺めてしまった警察官のお話。模範的警察官とも言える彼がなぜ・・・と話は始まるのだが、殺害の動機は序盤で明らかとなる。では、この作品での焦点はなんなのか。犯人となった彼の足取りに、唯一解明できない点があった。妻の殺害後、彼がとった行動。謎の二日間。犯行は自供したものの、その二日間に関わる事だけは一切黙秘を続ける「半落ち」状態の彼と、それを取り巻く法の使徒たち。なんと言ってもいいのが複数視点の形態を取っているところ。刑事、検事、記者、裁判官、刑務員と章毎に彼に関わる人物がバトンを引き継ぎ、ラストへと歩んでいく。スピード感や緊迫感といった部分を見出すことは出来ないものの、時系列をそのままに事件発生から法の執行と小細工の無い流れの中で、存分にお話を作り上げている。ラストを予見しやすい構成ではあるものの、時系列に小細工がない分重みがあり、読後にしっとりと深い呼吸が漏れる作品。この作品に出会えただけでも、京都旅行を思いついた価値があるという気がする。まあ、京都のクラブで十万も使ってしまったことは別としてだけど。


霊感の強い姉妹と妖怪のお話。と、ここまでだとよくある妖怪漫画に思えるけど、他の作品と違う点が。アクションもなければ呪術バトルもなく、柳田國男の民俗学をベースにした世界観で成り立っている。僕のような宗教学マニアからするといたって好感が持てる。もともと民俗学っていうのは、日常生活の中の風習・習慣・しきたりといったものの由来を紐解く学問なわけで。日本のいたるところで、その地方ごとに興味深い風習や伝承なんてものが残っている。時代とともに薄れていっているものや消えていったものもあるけれど、そういったものを研究・調査し、学問としたのが民俗学(フォークロア)。日本民俗学を語る場合に柳田國男は避けて通れない。話を妖怪に戻すと、日常の奇怪な現象や理解できないもの、そういったものを妖怪もしくは妖怪の仕業とする場合が多い。日本以外でもあるけれど、日本は世界で見ても妖怪の類が多い国だと思う。これは日本が森羅万象に神が宿ると考える神道の国だから。森羅万象は万象なわけで、八百万の神様がいる時点でどうかとも思うが、神様になり損ねちゃったり神様の亜種としての存在が妖怪と考えるとわかりやすい(話やすい)。こういった観点から見ても妖怪は人の生活にとても密着した存在で、妖怪を語る上では人間の存在は必要不可欠。この作品はちゃんとそれがわかってて、風習や習慣が色濃く残る田舎を舞台とし、妖怪の類と存在を認識しあえるシャーマン能力を持った姉妹を主人公とし、ただ奇異の存在としての妖怪ではなく生活や風習に妖怪がいるのは当たり前なんだというスタンスでお話を描いている。妖怪と戦ったり退治したりする作品が多いけど、それはしきたりや風習を排除していくとてもとても現代的な考え方。目新しく感じるこの作品のほうが、妖怪というものをちゃんと真正面から描いている稀有な作品。現代を舞台にした妖怪漫画は、厳密的に言えばこの作品だけじゃないだろうか。その他は妖怪曲解漫画、とか言ってみたりしてw


19世紀末のイギリスを舞台にしたメイドと貴族の身分階級を超えた愛のお話。身分の違いからの障害もさることながら、古きよきイギリス紳士淑女が妙に新鮮。巨大な力と策謀が二人を引き離そうと動き出した今巻。障害が形となり、エマの身に忍び寄る。最初はおばさんくさく感じたヒロインのエマ。それが可愛く感じ始めたのは、作者の画力が上がっただけじゃないはず。昨今、メイドと聞くと妙にきゃぴきゃぴした絵柄と、さぶいぼの立つ内容が幅を利かせている。そんな中、「エマ」を読んでいる人の大半が読まず嫌いだったと口をそろえる正統派。「メイド?そんなの・・・」とお思いの方はご一読あれ。何気に万人向けな作品です。同作者の姉妹本「シャーリー」を見る限り、ジェイン・オースティンのエマがイメージの片隅にあるのは確かな模様。


名前を書き込んだ人物を殺すことのできる「デス・ノート」をめぐるお話。8巻は第二章スタートといっていい内容。第一章を盛り上げた最大のライバルが死に、8巻からは新たなライバル(候補?)が登場。面白くないわけじゃないけれど、それでも7巻までの勢いは消えた。新しい巻が出るのを心待ちにするって感じじゃなく、あとでまとめて読めばいい程度。たとえて言うなら、ラインハルトが死んでからの銀河英雄伝説。銀英伝は脇役が重厚だったから盛り返したけど、どうもDEATH NOTEでは期待できそうもない。あれだ、「ヒカルの碁」を再開してください


漫画を取り扱う古書店を舞台に、人間模様を描く作品。現在、上・下巻・1巻・2巻と刊行されている。てっきり本全般かと思い込んで買ったものの、漫画だけと知り、ちょっとがっかり。漫画を取り扱った漫画といえば「編集王」が一番に思い浮かぶ。あの作品は出版業界全般を取り扱っていて、知らない業界の裏話が新鮮だった。じゃあこの作品はと言えば、ちょっと難しい。希覯本と言われる作品を取り扱うことが多いのだけど、知らない僕に言わせれば「そういう本あるんだ」ってところ。取り上げた作品とマッチしたエピソードもあれば、回顧感だけで味の無い話も。該当作品を知ってないと面白みがわからないかも。どうもエピソードの質にばらつきがある感じがする。いいエピソードもあって、「ビリーパック」(1巻収録)なんかはちょっと涙ぐんだ。ビリーパック自体は読んだことが無いのだけど、ちばあきお先生の「プレイボール」「キャプテン」がだぶって切ない気分に。巻末に取り上げた作品の解説があるのは親切。取り扱う作品とエピソードがうまくかみあえば長続きしそうな予感。


自分の今やってる仕事とはまったく違うのだけど、扱ってる機材が同じだし、広い目で見れば同じような職種ってこともあって、なかなか楽しく読ませてもらった。時間に追われる日常と、コンビニ寄って寝るだけってな生活まで同じ。いやだね。特殊な業界を伝えながら、読み物として吸引力を持っている序盤。ここらは、凄いなぁと読むスピードも速くなる。でも、中盤辺りからはただの焦点の転がしだし、落ちも微妙。当初の焦点である事件から、最終的にはテーマとなる焦点に移行し、提議じみた余韻を残しつつ終了。でもこれって、ベストは当初の焦点を消化しつつ、その上で次の焦点を消化すべきものだと思う。当初の事件的焦点よりも、テーマ的焦点の方が重要だから、当初のは決着・真相という形で消化しなくていいとは思わない。決着することで得られる面白さを放棄してる。読みやすさは別として、放送業界ノンフィクションでやればええじゃん。乱歩賞受賞作らしいけど、最近は広げた風呂敷の大きさと柄で判断するのかな。きちんと畳んでなんぼだと思うのは、考えが古いのかな。完全に畳まない美学は、僕は好かない。この作品、エヴァンゲリオンとかと一緒かもw


読み終えた、終わっちゃった。また5年は待たなきゃいけないなと、ちびちび読んでいたのだけれど、とうとう読み終わっちゃった。やっぱ面白い。ちょっと視点が散漫になった気はしたけれど、ストリーカーのお役目に一段落が着いたのには感慨深いものが。鬼子のささやかなあっかんべーも良かった。ブリンの作品の面白いところは複数視点によって事象に面白みと深みを持たせる点。僕個人としてはそこが一番のツボ。アンダースンの「百万年の船」が好きなのも複数視点だからかも。好みをもうひとつ言うならば、一つの時代に固執しない立ち位置の壮大さがいい。キャラクターが世界をつなげるんじゃなくて、キャラクターのやってきたことが世界を繋げる。サンダイバーに出てきた主人公がまた登場して欲しいわけではなくて、サンダイバーがあったればこその世界が出てくるのが楽しい。んで、今回のシリーズで改めて実感したのは、どうも進化の考え方が自分とマッチしていること。ブリンの影響でなったのか、同じだから好きなのか、偶然なのかはわからない。でも、明らかに7代進化論になってきてるので、次はガイア論にでも行き着くか、次元生命に行くのか興味津々。でも、また5年待つわけだから、辛いよ。


時間を超えたラブストーリーと言っていいのか分からないけど、多分それ。どこを面白いと思うのかは人それぞれで、個人的にはラブストーリーや時間という部分ではあまりピンとこなかった。唯一無二の作品とも思えない。それでもこの作品が秀作の部類に入ると思うのは、恩田陸の計算された構成と読者の導き方。いくつかに分けられた時代とシーン。始めの1つを読み終える時点である程度の仕掛けに気づく。気づかされる。で、同じ仕掛けをもう一度仕掛けてくるのだが、読者が気づいたことを想定して、別の角度からその仕掛けを利用する。1回、2回、3回と仕掛け自体は固定しているものの、読者が知恵を付けた事を上手く利用して物語の見せ方を変えていく。読んでる側からすれば「今度はそう来たか!!」と思わずにいられない。繰り返される出会いを色々な楽しみ方で描く。読者を置き去りにした色々を描くのならいくらでもできるのだろうけど、今その時その場所を読んでいる読者が何を考え、何を読み取っているのかを計算した上で、それを効率的に利用している。ニクイよ。得てして妙な哲学や思想が入り込んでくる内容なのだけれど、読み物の面白さを崩さないようにぼかすところはぼかしている。ぼかしがもどかしいと感じるときはあるのだけれど、読み終わってみればこれが一番じゃないかと思ってしまう。何から何まで読者を知り尽くしている。お見事。巻末の解説は梶尾真治氏。サービス精神旺盛な解説なのだけれど、本作を読み終えた読後感にそのテンションが来るのは、ちょっと、その、体力持たないよw


澁澤龍彦は変換でも一発ででるくらいお気に入りの作家さん。作家としてお気に入りというよりは、資料というか知識として大変お世話になっている。よくよく考えてみると、小説はほとんど読んだことが無い。エッセイばっかり。なので、とりあえず短編集から着手。やっぱりいい。起承転結の形式化を否定するわけではないし、それ自体面白いけど、言わば本書は投げっぱなし小説。本書の終わり方を結とする人もいるだろうけど、昨今の風潮を基準にすれば投げっぱなし。事象を印象で魅せる作家さんも多いけど、本作は事象を事象として処理。印象の読後感とはまた一味違ったものを味あわせてくれる。ただ、どれも好みなんだけど、特に「これは」というものは無い。安定した筆力なんだけど、頭一つの作品が本書には無かった気がする。次は「唐草物語」かなぁ。


馬苦馬苦言ってる方に薦められた浅田次郎も、はや数冊。短編はそろそろ網羅か。八つの短編で構成された本書。浅田次郎短編のいいところは、だいたい一つか二つはお気に入りがあるところ。で、当の本書で言えば、これが無い。浅田次郎だからといってお涙頂戴を期待していたわけではないけど、本書でしみじみと思ったのは、お涙頂戴が無いとつまらない、といったところ。まだ長編は一冊も手を付けていないからなんとも言えないけど、短編で浅田次郎の力量が発揮されるところは、泣かせどころ。逆にいえば、泣かせどころの無い浅田次郎短編は、抜きん出たものが無い、凡作だと思う。ただ好みだけで言えば「マダムの咽仏」は割と好きな作品。とりあえず、次は壬生義士伝に挑戦予定。


なんだかんだ言っても、栗源薫は原点なわけで。小説にはまるきっかけとなったのは「ぼくらの七日間戦争」宗田治/角川文庫。小学校一年生だったか、NHKのラジオドラマで気に入って、図書館で借りて読んだ。初めての小説だったし、難しい漢字やら知らない言葉が沢山。宮沢りえもいなかったし、戦車が登場することも無く、改訂版でとんでもない代物になってしまったことを除けば、大好きな作品。で、図書館通いを始めてしばらくして、ぼくら繋がりで「ぼくらの時代」を借りる。面白かった。今再読したらどう感じるかはわからないけど、その勢いでぼくら三部作を読破。すっかり栗本薫ファンに。あれから二十年。何度裏切られようと、読みつづける作家の一人。でも、そろそろやばいかも。グインサーガは早々に見切りをつけたからいいとして、伊集院大介シリーズはやっぱり手を出してしまう。ゾディアックは散々な出来。そして、伊集院大介、初の事件と銘打ったこの作品もまた、なかなかやばい。とりあえずギミックが無い。ジレンマも無い。伝承を利用した時系列と構成以外、何がしたかったのかわからない。殺人事件ものとして考え、犯人探しの要素だけをピックアップすると、テレビの二時間サスペンスのほうが出来がいい。犯人対象となる人物の揺れ動きはまったく無いので犯人固定だし。こうなってくると、昔の作品を再読してみて、過去の記憶は自分が幼稚だっただけかを確認したくなる。なんか、寂しい。


雑学本は結構好き。大抵忘れるから学として残らないけど、ちょっとした頭の刺激にもってこい。でも、失敗。中を見ればよかったんだ。一ページの一人の言葉しか書いてないなんて、白くてスカスカだなんて思ってもいなかった。今度からは重々注意する。そんな事を教えてもらった本。だけど、マルクスの最後の言葉はいいなぁ。


経済学者のおっちゃんの本。情報としても考え方としても面白いし、比較制度分析に興味も湧く。が、なんつーか学者さんでも営業をやったことのある学者さんだと、こういう文章になってしまうのかと感じさせる。文体の中に、明らかに敵と味方が存在する。賛同者は味方、非賛同者は敵。そこまで極端な書き方は無いものの、やはりそういった所を読み取ってしまう。できれば、教える内容は同じでも、好感が持てる教え方をして欲しいものだと思った。ぶっちゃけ、経済学にはあまり興味が無いので、要点以外の所が目に付いてしまったような気がする。


誤解で購入した作品。オビの「このミステリーがすごい!」の文字に、てっきり前年の和書ミステリー投票一位と誤解。「このミステリーがすごい!大賞」なんて賞があるとは、夢にも思っていなかった。ただ、嬉しい誤解。巻末やら何やらを見る限り、有名な作品のようだけど、情報を仕入れていない隠居生活者の身からすれば、読んで判断するしかない。ああ、この人は描写が上手い。確かに新人離れしている。ただ、読んでいて本当に面白いと思えたのは100ページ目まで。大きな事件も展開も無い100ページ、その100ページを読ませる筆力が凄い。珍しいのは事件や展開が絡んでくると、事象に追われて筆力が格段に落ちること。消化すべきストーリーに重きを置き過ぎて、この作家の一番の魅力が影を落としてしまう。うーん、もったいない。読んでて思ったのが、誰かに雰囲気が似ているということ。浅田次郎だ。いい意味での泥臭さを持った浅田次郎に対し、こっちはそれが無くなった状態。泥が無い分パワーが弱いけど、泥は人を選ぶから。なんにせよ、次回作に期待。ストーリーテリングを追い求めたら、駄目になりそうな気がするけど。


ああ、前世紀中に終わらせると言っていたARIELがとうとう終了の模様。十年の月日をかみ締めながら、購入。うーん、なんともはや、まとめですね。それもお話のまとめというか、世界のまとめというか、そういうもんでは無くて、主張のまとめ。正直エンタメの小説としてはきつかった。これはお話の終わりじゃなくて段取りの終わりではないだろうか。そういえば、この作家さんは娯楽性よりも書きたいことを先行させる場合が結構あるように思える。そのパワーバランスが崩れる事もしばしば感じる。まあ、それならそれでいいのだろうけど、この最終巻はとっとと終わらせたかったか、まとめに入ったかのどちらかではないだろうか。そういえば、獅子王は復活しないのかな?


ぶらりと吉祥寺に出向き、ヴォルシリーズの最新刊を発見。迷わず購入といきたいところだけど、表紙の絵柄に一瞬躊躇。な、なんか軽薄。ライトな表紙を否定するわけじゃないけど、作品にあった装丁というのが……あ、でも、もうヴォルシリーズはこんな感じかw。ビジョルドの文章は相変わらず良い。というか、翻訳も良い。描写もいい。けど、でも、これはなんなんでしょ。完全にオリジナルとして処理すればいいような作品に思える。わざわざヴォルシリーズにする必要が見受けられない。シリーズの一部として栄える内容ならいいけど、そこまでいいとは言いがたい。上手いしそこそこ面白いけど、ビジョルドだからこそであって、このネタとストーリー展開はお世辞にも「面白い!」とは言えない気がする。不完全燃焼。このまま一年以上新刊が出ないと思うと、ちょっと切ない。